ご相談の掲載許可をいただきましたのでご紹介させていただきます。
Q
はじめまして。
私は今高校3年生で、最近まわりの友達がよく夢や目標について話しているのを聞くようになり、よくそんなに軽々しく夢や目標を口にできるなと少し困惑しています。私自身、まだやりたいことも見つからず、それでいて夢や目標を持つのが怖いのですが、私がおかしいのでしょうか。(17歳・女性)
※メールでのカウンセリングは、 内容を匿名にてブログやSNSなどに掲載させていただくことを条件に初回を無料で行っております。
A
はじめまして、カウンセラーの田山です。
この度はご連絡ありがとうございます。
まずお答えさせていただくと、全然おかしくないと私は思う。
先のことは誰にも分かりませんから、怖くて当然です。
だから怖がっていいんです。それは正常な反応だと思うんです。
ただ周りが頻繁に口にしていると、どうしても自分と比較して心配になる部分はあると思います。「みんなは怖くないのか」「私は夢や目標がない」「どうしてそんな簡単にやりたいことを設定できるのか」などなど。
でも夢や目標を持つタイミングというのは人それぞれですから、早い人もいれば遅い人もいる。これはどちらが良い悪いではなく、人それぞれなのでそもそも比べられない事柄のように感じます。
以上のことからご質問者さんは全然おかしいとは私は思いません。
どうか安心してほしい。
ただ私は実は別の所が気になっていて、ご質問者さんは夢や目標を「一度設定したらやり遂げないといけないもの」「簡単に変更したりできないもの」って心のどこかで思っていたりしませんか?
アドラー心理学では行動や状況には「目的」があると考えていて、夢や目標が見つからない、決まらないってのは、すごいシンプルに言えば見つけたくない、決めたくないとも言えたりします。もちろんこの言葉の中にはたくさん意味が入っていて、例えば「目標が叶わなかったら…」「夢破れて傷ついたら…」といった自分を守ろうとする防衛本能がある程度の状況を作っているとも言えます。
また質問者さんの夢や目標の「概念」のようなものが頑なだったりすれば、それも夢や目標が見つからず、自分が恐怖を感じる一つの要因かもしれません。
もしそのように考えていたのなら、一度自分自身に問い直してほしいんですね。
私は、基本的に人は自分で縛らないかぎりは自由だと思うんです。
だから目標だって途中で変わっていいし、夢だって叶わなくても大丈夫。それに夢を絞らなくてはいけない法律もありません。生きている限り、夢や目標は自分の好きなタイミングで設定できるし変更できるし辞める事だってOKなんです。
そう考えたら夢や目標も設定しやすくないですか?小さくても、とんでもなくスケールがでかい事でもいいんです。
そして多分怖さってのは達成できなかったり失敗することへの恐怖だと思うんです。
でもそういった考えだと、成功しなきゃ人は幸せになれないことになりそうなので、私自身の人生には採用していないんです。
大事なのは過程です。
設定した夢や目標に対して、自分はどれだけ充実して過程を楽しむことができたか。
過程を楽しむことができれば必ず自分の力となって着々と成長できます。
結果だけ見たら、失敗した場合、それまでの努力も一緒に否定してしまう事になりますが、「自己成長」を目的とするなら、いくら失敗しようが挫折しようが関係ありません。何度でも何歳からでも再挑戦できます。
私からのおすすめは、「軽々しく」は好みではありませんが、「軽やかに」夢や目標に向きあってほしいと思います。別にハチマキ巻いて、歯を食いしばって、徹夜して、苦しみながらやらなくても全然問題ないと思うんですね。そういうやり方を否定はしませんが、個人的には前に進むのに重さを感じるかな。
明るく、軽やかに、そして楽しく夢や目標に対して『今、自分にできること』と向き合っていく、そんなやり方も一つアリなのではないでしょうか。
周りと比べず、自由に軽やかに考えていってみてくださいね。