心理カウンセラー紹介

対人関係専門 心理カウンセラー 田山 夢人 (たやま ゆめひと)

昭和音楽大学声楽学科卒業。 一般社団法人JAFA 心理カウンセリングスペシャリスト。日本アドラー心理学会会員。文部科学省後援色彩検定カラーコーディネーター。MUSICA DISEGNO代表。

はじめまして。対人関係を専門とした心理カウンセラーの田山と申します。サイトをご覧いただきありがとうございます。

現在に至るまで、1,000件以上の幅広い年齢の方に、より良いコミュニケーションや正しい発声を身につけるための歌や話し方のマンツーマンセッションを行い、特に話し方のセッションでは、何かの原因でいつからか声が出なくなったりコミュニケーションに恐怖を覚えてしまった方に向けて、心理カウンセリングを取り入れたカリキュラムを実施してきました。現在は、より心の悩みの改善にフォーカスできるよう「個人心理学」(アドラー心理学)を基盤としたカウンセリングを通して、うつ病、神経症、統合失調症はじめ、特に対人恐怖症、社交不安、あがり症など、人間関係での悩みを中心に、当オフィスでのカウンセリング、訪問、テレビ電話などでもサポートを行っております。

人は何をきっかけに心を病んでしまうかはわかりません。他人からしたらちっぽけに思えるようなことでも当人にとっては強大すぎる破壊力を持っている場合もあります。

職場での上司や部下との関係、友人関係、学校などでのいじめや不登校、ママ友同士のお悩み、親子関係の問題、夫婦関係、恋愛関係はもとより、人の悩みとは一見自分の中の問題と思えるような悩みでも、つきつめていくと最終的に『人間関係』の悩みに行きつくといっても過言ではありません。人とうまく話したい、人前でうまく話せない、人ともっと良好な関係を築きたいなどのお悩みもお役に立てることと思います。

「これからどうするか、どうしたいか」の具体的な解決策も一緒に考えていきましょう。

自分自身の素晴らしい価値を認め、自信を持って次の一歩を一緒に踏み出してみませんか?

【さらに詳しい長~い『心理カウンセラー田山夢人』のお話し】

|わたしの性格

私はどんな人かといえば、どうでしょう。

明るいです。陽気です。熱めです。
かと思えば落ち着いていて、穏やかで、優しく、よく包容力があって幸せそうに見えると言われます。笑

数百人の前で歌ったりもしてますから、さぞ度胸があるんだろうなと思われがちですが、すごいあがり症で、手は震えるし、言うことも忘れます。舞台に出たのに、言うこと忘れるもんだから、一度引っ込んで言うこと確認しに行こうと思ったら舞台袖から仲間たちが私の言うことを教えてくれて助かったこともあります。笑

基本的にとても人当たりが良く、コミュニケーションにたけていると言われたりしますが、その中身は実はすごく緊張しいで、繊細なもんで、できれば一人で静かな場所に身を置きたいとも思っていたりします。

好きなものといえば、音楽、絵、車、ものづくりですかね。
好きすぎて、車以外は基本仕事につながってしまっています。

そんな私は東京都の品川区に生を受けました。

東京都の品川区は母の実家で、母が6人兄弟なこともあり、生まれたころはいつも親せきに囲まれ、大変に可愛がられて育てられました。
そのまま私は一人っ子として育っていくのですが、赤ん坊の頃、そして小さい頃は体質的に割と手がかかる子でして、無呼吸症候群だったり、アトピーだったり、小児喘息だったりと虚弱体質でしたね。
とてもケアは大変だったと思います。

父の仕事の都合で、正確な時期は覚えていないのですが、幼稚園に入る前から宮城県仙台市に移り住みます。

|幼稚園時代のわたし

幼稚園の頃の私の覚えている自分についての印象は、何でも先生に「これしていいか、あれしていいか」の確認をいちいちしていた記憶があります。
その行動の根底にあるのは、今思い返してみると「いい子と思ってもらいたい。失敗したくない。」という気持ちが強かったように思います。

両親に可愛がられていたというのもあるだろうし、母の実家に戻ればたくさんの大人たちから注目を浴びて、小さいながらに期待をされていると勝手に思い込むようになったのかもしれません。

|小学生時代のわたし

小学生に入ると、積極的に「ねぇ、友だちになろうよ!」なんて声をかけて回っていた記憶がよみがえり少し恥ずかしくなります。一見積極的な感じに思えますが、小学校低学年の私の覚えている印象ではそうしていたのも初めだけで、割と消極的な方だったかもしれません。

しかし、クラスの女の子たちからの人気といいますか、支持率はとても高かったように思います。まぁ、他の男子に比べてやんちゃをする勇気もありませんし、自分で言うのもなんですがとても穏やかで優しい性格でしたからね。

でも一貫してその性格や立場を維持する目的は不健全だったように思うんです。
やはりここでも「いい子でいなきゃ。良く思ってもらいたい。優等生としていなくてはいけない。」が目的にあったように思います。もともと虚弱な体質でしたし、マラソンなんて大嫌いで、低学年の頃なんて応援に来ている親の前だけ走っていましたよ。笑
アドラーのお弟子さんのドライカースが体系化した「子どもの5つの問題行動」の第1段階目『賞賛を求める』ってやつですね。

学年が進むにつれて私はどんどん不健全になっていきました。
割と女の子から人気だったということもあり、それを妬んでの犯行か、今考えてみれば「あれはいじめだよな笑」と思うようなこともたびたびあったような気がします。今の自分は「よくからかわれた」くらいにしか思っていませんが。

「私は優等生を演じないといけない」と自分は絶対的に思っているものですから、絶対に失敗をしたくないんです。ボロを出したくないんですね。でもからかってくるクラスメートたちは上手く突いてくるんですね。笑
どんどん消極的になっていきました。

まずトイレに行かなくなった。あれは多分2~3年生の頃だと思います。
その頃はやんちゃなクラスメートがよくトイレを覗いてくるんですよ。個室なんて入ると当然覗いてくる。。。いや、実際に覗かれたことがあるかというと記憶は確かではないので、おそらくそういった強迫観念があったのでしょう。
その頃の担任の先生にも「トイレ行った?」とよく確認されていましたからね。笑
とにかくその頃の私にとっては「トイレに行く」という行為は、優等生を維持する上で、失敗をさらけ出してしまいかねない、からかわせる材料にさせてしまいかねない許されざる行為だったんです。だからね、正直我慢しすぎて漏らしたこともありましたよ。笑

そして学年が進むにつれて、体育の授業をよく休むようになったり、保健室によく行くようになりました。
虚弱体質だったということもあって、というか自分で虚弱体質であると言い聞かせて体調をよく悪くしていたように今では思うんですね。

だからアドラー心理学でいう、様々な症状には隠された目的があるという論理は身をもって実感しているんですね。笑
具合が悪いから休むとかではなく、休みたいから、気にかけてほしいから具合が悪くなるんです。でもこれは仮病とかではなく、実際に症状はあって、体はしっかりと様々な症状を出してくれるんです。熱も出るし、実際に吐いたりもできます。
しかしひとたび学校の外に出ればケロッと治るんです。まさに「甘やかされた子ども」の典型的な神経症の例にあてはめることができます。

体育の授業を休むようになった理由としては、「運動が苦手」ということと「着替えを見られたくない」という理由が大きかったように思います。

休み時間にドッジボールが流行っていて、参加したときにボールをうまく投げられず、思いっきり地面に叩きつけたことをネタに散々からかわれた覚えが強くあり、それが引き金になっているのではないかなと今では思っています。その時の失敗で強く思った感情は「うまく投げられなかった」ではなく「格好悪いところを見られてしまった。優等生像が崩れてしまった。」というものでしたね。

優等生でいなければクラスの中での自分の居場所を確保できないと本気で思っていたんでしょうね。完璧じゃないといけなかったんです。完璧と人に思わせるうえでスポーツは何よりも挑んではいけない科目だったのです。

高学年になってくると少し様子が変わってきました。

体の成長もあり、体力が付き、身長も大きくなってきました。
そのころになると今までからかってきていた子もからかうことをやめ、私も段々と体育に参加するようになり、陸上競技会や、水泳記録会に選手として出られるようになれました。
また私は小学校1年からピアノを習っていまして、それが5年の学芸会の時に学年合奏でのピアノ伴奏に選ばれて、それもまた花開いた感がありましたね。

そして、6年生かな。
5年か6年、あやふやですが、その当時の担任の先生がクラスの代表委員を任せてくれたんですね。なんかその時にみんなの前で何かをしたり、発言をするのが意外と楽しかったというか、好きだなと思えたんです。いわゆるクラス全体への貢献の機会を先生が期せずしてか授けてくれたんですね。

その選択がその後の中学校での私のライフスタイルをある程度方向づけたといえるかもしれません。

|中学生時代のわたし

中学生時代は、初っ端から私は「THE 優等生」でした。
学級委員を任され、合唱祭では指揮者をし、学校行事の音楽に関する重要な役割はほぼ任されてたともいえるかもしれません。また、生徒会にも所属し、生徒会の副会長として様々な活動をしていました。

はたから見れば日の目を浴びて、順風満帆な学校生活のように見えますが、私にとってはいつの間にかこれらの立場は自分をどんどん追い込んでいったのです。

中学校になるとまたいろんな問題が出てくるんです。

私の行動目標は常に『優等生として見られていなければならない』『良い人でなければならない』『完璧に見られなければならない』でしたから、さらに発達する体の成長や、勉強のレベルの上昇などが新たな問題、新たな壁となって立ちはだかるようになりました。

まず大変だったのは「勉強」。

私、言ってしまうと勉強がとても苦手で、特に理数系は大の苦手でした。
小学校の段階ではまだ大丈夫でしたが、中学になるといよいよ訳が分からなくなりました。数学や理科のテストなんて本当に点数が悪く、30点台を取ったこともあります。
周りのみんなは私ができるヤツだと思っていますから「絶対いい点数じゃん!教えてよ!」とよく聞いてきてましたが、まさか実際の点数を言えるわけもなく多分嘘ついていましたね。

外見に中身が追い付いてないんです。

でも「優等生キャラ」は崩せませんから、誤魔化したり嘘ついたりするでしょ。外と中の差がどんどん開いていくんです。張りぼてです。

もちろん全部が良くないとは思いません。
音楽は確かに秀でていたと思うし、美術や語学は人並み以上だったと思います。
歴史だって好きになって成績もよかった。
それらは今でも職種につながっていますから、長所といえる部分でしょうね。

ただその頃の自分には化けの皮が剥がれないようにすることだけが最重要課題だったんです。自分の良さになんて気にかけている暇はありませんでした。

もう一つの大きな悩みとしては、体の成長によるコンプレックスでしたね。

私の写真を見てわかるように、今では髭を生やしていますし、白状すると人より毛深いわけです。笑
こんな話をこのプロフィールページでお話しするのもどうかなとは思うのですが、恥ずかしながらも書かせていただきますね。

中学生のころは、男の子たちも成長期ですから髭やすね毛などの体毛がみんな少なからず生えてきます。
私は家系的に濃いめでしたので、生え始める段階も早かったんです。
周りの男の子たちも生えて足並みそろえば問題なかったのですが、周りは中々生えず、むしろ足の毛でさえ生えたらみんな全剃りしていました。

それで終わればいいんですけど、私は剃ったりしませんでしたから、当然周りの男の子たちは私の体毛に目が行き、「毛深い」をネタにして徹底的に弄ってくるようになるんですね。

地獄ですよ。
優等生キャンペーン、完璧な生徒キャンペーンを何とかして守っていたのに「毛深い」問題は大きな壁となって立ちはだかりました。

多分親にも相談したと思うのですが、大抵「生えている方が普通だし、格好いいんだ」とか「剃るなんてバカバカしい」という反応で、当然私は親に対しても優等生でいなければならないと思っていますから、板挟みで結局何も対策をすることはせず、ただただ耐える日々でしたね。

ただ音楽の分野に関しては特に一目置かれる存在であったと自負しています。
様々な学校行事の中での全体合唱などの指揮や伴奏を経験させてもらいました。
演劇部に所属していたことと、合唱祭で目覚めた歌への興味から声楽を習い始め、その興味は「オペラ」へと進んでいくのでした。

|高校・大学時代のわたし

高校からは持ち味の音楽を活かし、音楽科のある高校へと進学しました。
そこでは声楽を専攻し、徹底的に発声について学び始めます。

高校時代もどちらかというとクラスをまとめたりする役を任されたりして、ここでもやはり優等生キャラで3年間を過ごしました。

ただ、中学校時代と違って、ここは音楽の世界で苦手なものを学校生活の中でやる必要があまりなかったものですから、そういった面ではかなりストレスフリーになれた気がします。実際、怖いもの知らずで、コンクールなども受けて受賞をしたこともありましたし、割と自信にあふれた高校時代だったように思います。

変化があったのは大学からかな。

大学はもちろん音楽大学に入ったのですが、高校時代と何が変わったかというと、まずライバルが一気に増えた。そして、クラスという概念もあまり重要性がなくなり、個人での勝負になります。つまり「みんなをまとめる優等生」は必要なくなったわけです。

つまり自分のアイデンティティを守るものはとにかく実力なわけですね。
それにもかかわらず、私はどんどん自信を失っていきました。

私は歌えない部類だ!とは決して思ってはいないのですが、勉強を重ねるうちに、いろんなことが分かるようになってしまったのも一つの要因かもしれない。頭でっかちになってしまったんですね。

そしてもう一つ忘れてはいけないのが、大学入って初めてしたバイトでの出来事でした。

飲食店でのアルバイトだったのですが、まぁ何もかも初めてなわけでルールもわからないし、右も左もわからない中、必死にやりましたが苦く終わりましたね。
職場の先輩たちも事あるごとに私に対して舌打ちをしてきたり、聞こえるように悪口を言っていたりと、よくもまぁここまで陰湿な人たちが集まったものだなと思いましたよ。笑

大分精神的に参ってました。辞めようと考えている頃には職場の先輩たちの目線や私に対する態度に精神的に圧迫されていたのを覚えています。見た目は何だかできそうなもんだから変に期待されて、それに応えようとするも上手くいかず、どんどん自分の「優等生キャラ」が自分を追い込んでいくんです。
そしてある時その影響がアルバイト以外の生活で出始めたんです。

まず、まぶたの痙攣が始まりましたね。ビクッビクッとした痙攣が一瞬ではなく、しばらく止まらなくなるんです。目の疲れかなとも思ったんですが、どうやら違うらしい。人と話している時やアルバイトのことを考えるとなるもんで、特に人との会話中になるのはもう見られたくなさ過ぎて、恥ずかしすぎて困ってましたね。
あと人ごみを歩くのがすごい大変になりました。
何かすれ違えないんですよ。
人が同じ方向に避けるんです。私が同じ方向に避けてるのかもしれませんが。そして全然知らない人と仲良く右、左、右と、鏡のように動くんですが中々すれ違えないんです。笑

今思うと、ある特定下での社交不安や対人恐怖などが芽生えてしまっていたように思います。そのアルバイトを辞めた後も1年くらい、その職場に行くための沿線に乗ることができませんでした。

その頃から極度の緊張、あがり症が始まりました。

人前に出ることや、人前で話すことに何ら抵抗がなかったはずなのに急にダメになりましたね。ひとたび出てしまえばそれなりにやはり楽しいのですが、声帯の痙攣、手の痙攣が顕著に出始め、割と困難を極めました。周りの仲間たちもそれぞれ抱える悩みはあるのでしょうが、私から見れば何も問題なく堂々と挑んでいるように見えてしまい、それとこの自分の不甲斐なさを比べてしまうことで、ますます自己肯定感を下げていってしまいました。

大学終わるころにはすっかり「自分は向いていないんじゃないかな~」と思っていましたね。笑

|オペラ研修所時代のわたし

大学卒業後は大学院ではなく、オペラ歌手の研修所に入りさらにオペラと発声について勉強をしていきました。「自分は向いていないかも」という思いもどこかにチラついてはいたのですが、歌や演技が好きなのは相変わらずでしたのでもう少しやってみたかったんです。

正直言うと、許しがたいこともたくさんありましたが、やって良かった。

さすがにそういうこと言うか?というようないわゆるモラルハラスメントのような類の発言もたくさん受け、なんて世界だ、と思った時もありましたね。笑
でも周りも言われているからその業界では「当たり前」という雰囲気なんです。感覚がマヒしてる。これは声を大にして言いたいですが、そんなこと「当たり前」ではないと思うんです。人を教育や指導といった大義名分のもと、傷つけるような発言・態度をしていい雰囲気というのは健全ではないと思う。甘っちょろいんだ!という方は、反発を覚悟で言うと、おそらく雰囲気に毒されています。

とはいえ、特定の講師の人間性や、業界全体の雰囲気を除けば、学べることは確かに多かったです。

オペラには様々な役が登場しますから、役の感情であったり動きであったりと、心の内面と外側に現れる動きを研究し、考察し、表現する訓練をします。一番面白くて、今の自分のためになっていると思うのは演技の授業ですかね。

もともと演劇部出身というのもあって、様々な身体表現や感情表現のためのエチュードは、今も多くをレッスンやカウンセリングに取り入れ、嬉しいことに受けてくれた方からは良い報告をたくさん聞きます。

色んな嫌な思いもあったけど、こうやって悩みを持った方の役に立っていることを知れたお陰で、自分の経験も何一つ無駄にはなっていないんだなと知る事ができました。

|仕事とわたし

研修所時代から私は音楽教室でボイストレーニングと『話し方』の講師をしていました。この『話し方』のレッスンを始めたことが、今思うと割と重要なポイントだったかもしれません。

話し方のレッスンというのは、その頃はまだ音楽教室の業界の中でも浸透しておらず、業界全体を通して新しいコースでした。だからデータがないんです。どういった人が来て、どういったことをするといいかなど。
当初の業務内容は滑舌や発声など、いわゆるハード面の強化レッスンという内容で引き受けていたんです。
しかし実際に始まってみると、受けに来る方は多くが精神的に何か悩みを抱えている方が多く、私が受けた印象は、発声や滑舌の改善以前に、精神的なサポートが必要なのではないかと強く思わされました。

これまでお話ししてきたように、自分自身精神的に悩むことも多かったので、実は大学の授業でも心理学を取り、その頃から勉強していました。そのため多少の心得はありましたので、お悩みをとことん聞く、というレッスンスタイルが今のカウンセラーの仕事の入り口になったのかもしれません。

そうやってお話しを聞いていくと、割と私が悩んでいた領域と重なる部分が多かったんですね。私自身は克服ができましたから、経験者として何としても立ち直ってもらいたい!と強く思った覚えがあります。

その頃は話し方のレッスンはマンツーマンでのレッスンしかなかったんです。しかしこういった悩みや症状というのは対人関係の中で多くが改善されます。そのためグループでのレッスンの必要性を感じ、グループレッスンを開設してもらったんです。多くの方がそのレッスンで改善していくのを目の当たりにして、「やって良かった」と心の底から思いましたね。

その後、私は教員免許は持っていないのですが、推薦の元、運よく高校の特別非常勤講師としての機会にも恵まれ、思春期の子どもたちと時間を共にし、その後は一旦、兼ねてからの夢でもあったデザイナーを経て、今はまた講師業に戻り、講師として、そして今度はカウンセラーとして悩みを持つ方と一緒に問題に向き合い、解決するためのサポートに回っております。

|心理カウンセラーとしてのわたし

自分の中で実はようやくたどり着いた感があるんです。ようやく貢献できる気がしてる。

私はもちろん心理カウンセリングの資格のもと心理カウンセラーとして名乗っているわけですが、今まで多くの方とマンツーマンでの時間を共有してきて、確信できた自分の「強み」があるんです。

それはきっと資格の有無や知識とかではなく、むしろ「話しやすい雰囲気」にあると思うんですね。自分で言うのもなんですが、よく安心感があるとか、包容力があるとか、優しいとか言ってくださいます。だから、一緒にいるとその気がなくてもみなさんスルッと悩みを口にしてるんです。

そして時間が終わる頃にはみんなスッキリして帰っていく。きっとみなさんも私に会いに来たらそんな不思議な体験をするかもしれない。笑

私自身はアドラー心理学を専門にしていますし、聞かれれば何でもお答えする事もできますが、カウンセリングではみなさんが期待される魔法のようなことはもしかしたらないかもしれない。

この世という3次元の世界では、本人が行動を起こすしかないんですね。私はそれをそっと後押しするのが多分上手いです。笑

不登校の子が学校に行くようになったり、諦めていた夢に前向きになったり、絶望的だった人間関係が改善したり。あがり症が気にならなくなったり。

私が悩みを克服したように、みなさんも克服することができると思うんです。

はじめてのカウンセリングへの第一歩はとても勇気がいると思うんだけれど、大丈夫。怖がらなくて平気です。なぜなら部屋で待っているのは私だから。笑

きっと会えば安心しますよ。

みなさんの明日を、今日この瞬間から一緒に変えていきましょう。

心理カウンセラー 田山 夢人

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