性格を変えようとしない。

こんにちは。
カウンセラーの田山です。
お盆の時期ですね。
みなさんはいかがお過ごしですか?

突然ですが、みなさんは例えばイライラしたり不安になったりが日常的に続いたら、この自分の性格を何とかしたいなぁとか考えたりしませんか?

こんな性格じゃなきゃよかったのに!
性格を直さなきゃ!
心を入れ替えなきゃ!

といった感じに。

この考えに陥るとどんどん自分で自分の人格を否定していっちゃうんです。

実際、カウンセリングを行っているとこういった場面に出くわします。

でも私は思うんですね。

別に性格を直そうと思わなくてもいいと思う。
果たして性格さんたちが悪さしているんですかね?
必ずしも心を入れ替える必要もないんじゃないかなと思う。

仮に自分にとって決していいとは思えない性格だったとしても、それは自分を今この瞬間まで生かしてきてくれた立派なものなんです。

悪い性格だと思っても、そんな自分でいてくれたからここまで来られた。

敵じゃなくて自分のかけがえのない仲間であり、自分自身なんです。

そもそも性格や心っていまいち正体分からないじゃないですか。体の胸の部分か頭か知らないけど、パカッと開いて体の中を見ても「性格」や「心」って見つけられないでしょ?

私たちには観察することができない「概念」でしかないんです。

私はアドラー心理学を専門としていますが、アドラー心理学でもあまり「性格」って考え方しないんです。

「性格」って言ってしまうと、もうすでに決まっていて変えられなさそうな印象ありませんか?

例えば「私は怒りっぽい人なんです」とか「さみしがり屋なんです」とか「引っ込み思案なんです」とか。

自分を決め込んでしまっているとちょっと具合悪いから、アドラー心理学では性格のような概念を「ライフスタイル」って呼ぶことにしているんです。

「ライフスタイル」っていうのは、大体10歳ごろまでに決まってくるといわれている、その人その人ごとにある思考や行動の癖のようなものです。

こう考えると変えられそうだし、希望持てるでしょ?

だからそもそも「性格」や「心」、あるいは「人格」という前提でお話をしなくてもいいんじゃないかなと私は考えます。

じゃあ性格を変えないでどうやってこの日々のイライラや不安を消せばいいんだ!と聞こえてきそうです。

構造はシンプルなんですよ。

「性格」や「心」は観察できないし私たちが触れることができませんから、私たちに観察ができて触れられるもの、「言葉」や「行動」を変えていきたいんですね。

例えばAさんという方がいたとします。
Aさんが家で家事をしていますね。
そばには恋人がいます。
自分の理想としては自分から恋人に声をかけなかったとしても、恋人は自分のやっている家事に気付いて自ら手伝ってくれることが素晴らしいと思っている。
気づかずにそのまま手伝ってくれなければ私はかわいそうな人で、恋人は悪い人認定となるとします。

これがいわゆる「性格」と思いがちな部分かもしれません。
アドラー心理学では「ライフスタイル」の一部ですね。
思考の癖、その人の中にある自分の理想や人はどうあるべきか、世界はどんなところかというその人の中の「常識ルールブック」です。
この中身は本当に人それぞれで全人類共通のものではありません。
上の内容も一つの例です。

ここで一つ注意ですが、上に挙げた例が「良い」とか「悪い」という価値判断は一切ありません。ただAさんの考え方が「そういう考え方をするだけ」という風にニュートラルに受け取っておいてください。

例に戻りまして、Aさんは家事をしていましたが、結局恋人は最後まで手伝わずに終わりAさんは怒り心頭、大喧嘩…というエピソードだったとします。

Aさんの行動を少し詳しく見ていきましょう。

Aさんのルールブックによると、周りが率先して気が付き、自分の仕事を手伝ってくれたら嬉しいと思っているとも読み取れそうですね。そしてAさんは恋人に対して「声をかけないで気づくのを待つ」という行為を選択しました。

その結果、恋人はAさんの意図を知ることなく、そしてAさんは怒り心頭となり喧嘩に発展してしまいました。

こうなるとよくある展開が「恋人が気づかないのが悪い!」という言い分ですね。

これはAさんのルールブックに対して恋人が違反しましたからこうなるのは当たり前なんですが、このルールブックはあくまでAさんだけのものであって、恋人はまた違うルールブックを持っています。

だからそもそも自分のルールで他人を裁くことはその先の関係にも影響を与えていきます。

相手がどんなに親しい間柄でも、外国の人(法律や文化が違うという意味で)、もしくは宇宙人くらいに思っていた方が便利です。

だから一旦相手のことは置いておいて、自分が、つまりAさんがどんな行為を選択すれば、Aさんも恋人も幸せかなということを考えていきたいんです。

では具体的にどうしていったらいいかの一例を考えていきましょう。

ここで大切なのはAさんの性格がそもそも不便だ!とは考えないことです。
Aさんの考え方もアリだよね、素敵だよね、OKだよねと考えておきたい。

考え方、ルールブックは否定せずに、行為の部分で調整できないか考えていきますと、Aさんの取った行為「声をかけないで気づくのを待つ」、これをもう少し工夫できそうです。

例えば「気づく」ってAさんの行動ですかね?
これって恋人さんの行動で、つまりは相手の課題です。
相手が気づくかどうかは超能力者でない限り、相手の課題であると考えておくと便利ですね。自分にはコントロールできない相手の領域です。

「気づく」を行為から抜き出しますと「声をかけないで待つ」になります。
「声をかけないで待つ」をしていると状況は変わりそうでしょうか。

おそらくまだ恋人さんが手伝ってくれる確率は低いかもしれません。

じゃあどうしたらいいか。

例えば「声をかけてみる」に行為を調整してみる。

「ちょっと手伝ってくれる?」

この一言を声をかけてみれば、相手には「手伝ってほしい」という気持ちも伝わりますし、相手がその後どんな選択をするかはわかりませんが、いずれにしても答えを返してくれる確率がぐんと高まりますね。

これが「言葉」や「行動」を変えていくということで、「行為」の部分ですね。

自分の考えは必ずしも変えなくていいんです。
ルールブックは替えるものではなく、随時更新していくものと考えた方が便利かもしれませんね。

いつも考えるように心で思ってていいから、表の行動の部分だけ変えてみるんです。

「性格が変わらなきゃそんなことできない」という人もいます。

これは嘘なのね。
できるんです。
例えば本当は仕事をやりたくないけど、やらなきゃいけないから仕事をする時とかありません?
これと同じ。
別に仕事をいつでもしたいと思える性格にならなくても仕事をできるでしょ?
突き詰めれば「やりたいか」「やりたくないか」なんです。
だからやろうと思えば誰でもできる。

もしイライラしたり不安になったり、自分にとって上手くいかないことが続くようなら、ある日のできごと思い出して見直してみてください。

そこにはどんな自分のルールブックがあって、自分は相手に何をしてもらいたいのか。
自分だけじゃなくて、相手も幸せになれるような自分の行動の工夫はどんなかを考えてみたら、今までより素敵な人間関係ができてくるし、それに伴って自分のルールブックも自動で更新されてくるかもしれません。

心は悩みが尽きないうちは重いんです。
体より重いと思っていい。

体を先に動かして心を引っ張ってあげたら、いつの間にか心の重さも振り落とされて追い付いてきます。

ちゃんと最後には心と体が一致する日が来ますから、勇気を出して今までと違う行動をとってみてください。

親密になるほど難しくなる人間関係を心理学で考える

職場の同僚や上司や部下との人間関係、普段の友人関係、恋人関係、夫婦関係や家族関係、親子関係などが人間関係としてはあげられますね。どのカテゴリー・ジャンルの人間関係でもいいんですが、親密になればなるほどきっと色々なトラブルも経験していることと思います。そのことについて今回は心理学で考えていこうと思います。

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【相談内容】友だちと同じ人を好きになってしまいました。

心理カウンセラーの田山です。
ご質問を頂きましたので、お答えさせていただきますね。

今回のご質問は『友だちと同じ人を好きになってしまいました。どうすればいいでしょうか?』というご相談内容でした。こちらのご質問をアドラー心理学で考えていこうと思います。

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いいところに目を向けたい。

12月もすでに半ば。
師走というだけにあっと言う間に今年も過ぎ去ってしまいそうですね。
年始、年明けのカウンセリングスケジュール早めに出しますね。

さて、今日は何について書こうかというと、タイトルにあるように「いいところに目を向けたい」ということです。いつもと違って私の思いをただただ書いていく記事になりそうです。

日常生活でも、対人関係でも、悪いところにはすぐ目が行くものですよね。
これって人間が動物である以上、仕方がない事なんだそうですよ。生き残らないといけないし、悪いことは危険ってことですから、それを回避するために注目がいくわけです。

しかし確かに入り口が悪いところにせよ、その後の行動で何を、どの部分を受け入れるかは全くもって自分次第だし、選ぶことはできるとアドラー心理学では考えたいし、私もそう考えたいんですね。

例えば家族で暮らしていたりすると、ある時相手の嫌いな部分がみえてどうしようもなく嫌になるわけですよ。もうこの人とはやっていけないわって。

でもこれってとても勿体ないと私は思うんです。
多分その嫌な部分って、その人のほんの一部だと思うんですよね。10あったら1~2くらいだと思う。これが過半数だったらそもそも付き合い自体がないでしょうからね。つまり残りの8~9ってのは良い部分というわけですよ。でもどうやらその8~9もある良い部分には目を向けたくないらしいんです。1~2しかない嫌な部分で人を評価してしまう。こう考えてしまうのは私個人的には自分にとっても相手にとってもあまり幸せではないなと思うんですよね。1日のうち3分だけ嫌なところがあるだけならそこに目を向けず、残りの23時間と57分良い人なわけですからそこを認めてあげて、自分自身も幸せだなと感じたいですよ。

そして嫌な部分を見てしまう人についてもう一つ私が思うのは、きっとこういった人は目の前の相手と暮らしていないんではないかなと思う。多分自分の中に理想の相手がいて、その人と暮らしている。だからきっと8~9割の良い部分しか認めず、しかもそれがもはや10割で当たり前と化して、幸せな状況や感謝などを忘れちゃうんだと思うんです。だからたまに出てきた悪い部分は絶対的な悪で排除しようとしちゃう。

人間って不完全な存在ですから、1~2割の悪い部分があるなんて当たり前ですよ。じゃああなたは完璧なんですか?って私は聞きたい。笑
自分にも相手にとってよろしくないと思われるところがあるだろうに、自分は良くて相手は許さないのはちょっと優しくないんじゃなかなと思うんです。

1~2割の悪い部分があるからこそ、その人の良さは際立つし、 その人はその人で「或る」ことができるんです。

これは何も人間関係だけではなくて、例えばお買い物でもそう。
着目するところのお話ですから、お金を払う、ものを手に入れるって二つの現象があるならどちらに注目する人生にするかってことです。これも自分で選ぶことができますね。

例えば不幸に感じてしまう人はもしかしたら「お金を払う」というところに注目してしまうのかもしれません。お金を払うことで、お金が減りますよね。数字が減ったところを注目して、心が貧しくなる。でもきっと幸せな考え方の人は「ものを手に入れる」というところに注目して、生活が豊かになったとか、自分の気持ちが満たされたとか考えるかもしれない。お金を払えた自分も凄いと思えるかもしれない。

起きた現象や客観的な事実はあるがままですが、それをどのように受け止めるか、どの部分を受け入れるかは自分が決めることができるし、決めることができるということに気づいて、内なる自由を獲得出来たら私は幸せだと思うんです。

まぁ私が何と言おうが、生き方は人それぞれですし、私も別に「この生き方は悪い!」と他人の生き方を否定するつもりも全くありませんから、ご自身の好きなように生きていただいたらそれでいいと思います。ここまで言っておきながら。笑

ただ私は「こういう生き方は私にとってはとてもいいと思うんだけど、どうですかね?」ってくらいのスタンスでいつもお話ししたいと思っております。

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好きな人を目の前にすると上手く話せない人のためのアドラー心理学。

好きな人がいるんだけれど、いざその人を目の前にすると緊張してうまく話せない。顔も赤くなるし、変なこと言ってしまいそうで、どう思われるか不安で仕方がない。そんな思いをしたことはありませんか?
今日はそんな思いを少しでも軽くできるようなお話をしたいと思います。

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