アドラー心理学『課題の分離』の誤解。

『課題の分離』って聞いたことありますか?
当ブログでも割と登場してくるアドラー心理学の考え方です。
アドラー心理学は2013年出版の『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)で一躍脚光を浴びました。その中で『課題の分離』という考え方はかなりセンセーショナルで、多くの人に影響を与えたことは事実でしょう。
そんな中、YouTubeやTwitterなどでもこの『嫌われる勇気』に関してのレビューは多く、最近私も楽しみに見たりするのですが、『課題の分離』に関して少し誤解があるように感じるんですね。

『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)では、「課題の分離」に関して次のように言っています。

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。

『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健、ダイヤモンド社:141ページ)

これの例え話として、なかなか勉強しない子どもに対して、親だったらどうするかという話が作中に出ました。

多くの親はあらゆる手を尽くして、勉強をしてもらうようにしていくだろうという見解に対して、それは子どもの課題に対して土足で踏み込む行為であり、衝突は避けられない。そして「勉強をするかどうか」は親の課題ではなく子ども自身の課題であるということです。

これは確かに、勉強をしなかったことによる責任を最終的に引き受けるのは子どもなので、そういった意味では親の課題ではなく子どもの課題と言えます。

しかしこの点を誤解してしまうと、かなり冷たい印象になってしまいますし、実際に多くのコメントや意見を拝見すると、「私は私、あなたはあなた。あなたがその決断をするのは私には関係なく、どうなろうがあなたの課題であり、あなたの責任。」のようなニュアンスで受け取っている印象が否めません。。。

でも『課題の分離』というのは、そこだけを切り取ってはいけないと思うんです。
アドラー自身はそもそも他者への関心や信頼、貢献、人との対等なつながりを目指していたし、現代のアドラー心理学でもその点は変わらないと思います。『共同体感覚』ですね。

だからまずは『課題の分離』をする前に、最終的な結末を想像させつつ、援助や協力も可能であるということを相手に伝え、『共同の課題』にできるかを確認したい。問いかけは必要だと思う。

それでもし相手から助けや援助はいらないと言われたら『課題の分離』をする。

別に見放すわけじゃないんです。
あくまで相手の意見を尊重したいし、助け合いたい。
セパレートするためのテクニックではないんです。

自分の選択に責任を持ち、自立を目指してもらうための考え方。

アドラー心理学を専門にしているカウンセラーとしては、その点を注意して『課題の分離』を理解してもらえたら嬉しいな。
少なくとも私はそのように実践していきたい。

とはいえ『嫌われる勇気』はアドラー心理学の入門としてはどなたでも非常に読みやすく、衝撃を覚える素敵な作品だと感じました。
アドラー心理学が気になったら是非一度読んでみると面白いかもしれませんね!
ただお読みになる際は、そのまま受け取るのではなく、『共同体感覚』という目標を常に置いておいて、それを前提に一つ一つのことを吟味しながら、自問しながら読み進めていかれることをお勧めいたします。
そうすれば自己中心的な偏った解釈にはなりづらいのではないかな!

読書の秋、いざ『嫌われる勇気』!

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