親密になるほど難しくなる人間関係を心理学で考える

職場の同僚や上司や部下との人間関係、普段の友人関係、恋人関係、夫婦関係や家族関係、親子関係などが人間関係としてはあげられますね。どのカテゴリー・ジャンルの人間関係でもいいんですが、親密になればなるほどきっと色々なトラブルも経験していることと思います。そのことについて今回は心理学で考えていこうと思います。

毎度のことながら、私はアドラー心理学をしているものですからここで語る心理学というのはアドラー心理学でのお話となります。

|人生の3つの課題

アドラー心理学では人が人生において避けることのできない「人生の3つの課題」というのがあると考えています。

それぞれ「仕事の課題」、「交友の課題」、「愛の課題」といわれています。

これらをざっくり人間関係の面で説明させていただきますと、仕事の課題というのは例えば永続的ではない人間関係、ある程度期間が決まっているような人間関係をさします。交友の課題というのは仕事の課題に対して永続的な人間関係です。期間に限定されず、何かない限りは生きている限り続いていくであろう、ある程度親密な人間関係になってきます。そして愛の課題は永続的かつ運命を共にする運命共同体としての親密な人間関係と考えます。日本では夫婦や家族と便宜上考えたりしています。

これらは上の説明の通り、仕事→交友→愛と進むにつれてお互いの距離がとても近くなり親密な関係になってくるんです。

|どんなに親しい間柄でも忘れてはいけない1つのこと

こうやって親しい間柄になっていくにつれて、楽しい時間はより楽しくなり、トラブルが起きるとそれだけ厄介になっていくものです。

楽しい時間の方は、楽しくなる分には問題はないと思うのでここでは扱わず、トラブルが起きる時に関連してお話をしていこうと思います。

親密になっていく間柄というのは当然「気が合うな~」とか「ベストパートナーだ!」など、程度の差はあれどお互いにある程度思っているものです。そして親密になればなるほど「相手は自分のことをよく理解してくれている」とか「私は相手の事を十分わかっている」と思いがちです。

実はここに落とし穴がある。

親密になったり、付き合いが長くなったりすると、上に挙げたような自分の思いがいつしか確信のように思ったりするわけです。当たり前の事実のように思ってしまう。

そうなると自分の頭の中の事実と反することを相手が行うとパニックになるわけです。怒ったり、許せなかったり、理解できなかったり。言い合いになれば「なんでそんなことするの!」「~だと信じていたのに!」「ありえない!」といつしか相手の人格を否定していくことになります。そうなれば当然相手も同じように人格を否定してきます。二人の仲は最悪です。

いつしか自分は、自分の中にできた「理想の相手」を見ているわけです。その理想の相手がしないであろうことを本人がすれば許せない。相手に甘えてしまうというのか、何ともわがままな自分をいつの間にか作り上げているんです。ここをもう少し掘り下げれば、相手を自分の思うように操作したいという目的も隠れているかもしれませんが、ひとまずそこには触れず、ざっくりこのようなトリックになっているわけです。

どんなに親しい間柄でも忘れてはいけないことは、自分の考えは「思い込みである」ということです。

|人は意味づけされた主観の世界に住んでいる

自分の考えは「思い込みである」というのを、アドラー心理学では認知論と言ったり、現代では仮想論、別の言い方では現象学と言ったりします。

人は対人関係においてどんなに客観的な事実だと思っても、観察した瞬間から主観的な意見に変わってしまうんです。アドラーは「意味づけの世界」と言っていました。

例えばあなたが相手を「絶世の美女だ」と確信をもって事実のように思ったとしても、もし同じ相手を他人が見たら「普通だし、好みじゃない」とか思ったりするかもしれません。「絶世の美女」というのが客観的事実なら、100人中100人が絶世の美女と言わなければなりません。でもおそらくそうはならない。つまり、「事実」ではなくて主観的な「意見、思い込み」に過ぎないんです。

意味づけを詳しく見てみましょう。仮に目の前にあるここでの客観的事実を「女性」としましょう。(おそらくそこすら主観的な思い込みかもしれませんが…)
「あなた」という主観フィルターを通して目の前の「女性」を見ますと、その時点でただの「女性」ではなくなります。「私に好意的に話しかけてくれる女性」だったり、「自分好みの美しい女性」だったり、「自分の嫌いな友人の彼女である女性」など、目の前の「女性」は自分や周りとのかかわりの中で存在する「女性」であり、そこに主観的な意味が付加されてくるわけです。

確かに1+1は2のように(これも危ういですが…)、客観的な事実も世の中にはありますが、ものの価値観や考え方、捉え方は相対的なものであって主観的なものなんです。個人の中にそれぞれ自分なりの正解やイメージがある。絶対的なものではないんです。

そしてこの主観のフィルターを作っているものは個人個人のライフスタイルであり、このことをアドラーは「色眼鏡で世界を見る」と言いました。現代のアドラー心理学では認知バイアスや統覚バイアスなどと言ったりします。

人は独自に意味づけされた主観の世界に住んでいて、そこから逃げることは誰しもできないのです。

|違う人間であることを理解する

ここまでで、人のものの捉え方や価値観はそれぞれのライフスタイル、主観のフィルター(認知バイアス)によって様々であることが分かったと思います。

だからどんなに親しい人間だろうが、長い付き合いの人間あろうがそれぞれ違う独自の主観のルールのもとに生きている人間であると思いたいんです。例えば夫婦や家族などは生活習慣や考え方、物事の認識は似てくるかもしれませんが、それですら一致するところが「多い」だけで100%の一致は現実的じゃないんです。

つまり合わない部分や理解できないところもある。

でも親しくなればなるほど、付き合いが長くなればなるほど100%分かっている、合っていると思いたくなってしまう。でもそれだとあまり便利じゃありませんから違う人間であることを理解しましょう。

|自分が事実を決めているだけ

例えば「あなたは全然私のことを愛してくれていない!」というのは、事実じゃないかもしれないんです。相手は愛しているかもしれない。確認もしていないのに「愛していない」と勝手に事実認定してしまっているんですね。

では相手に確認したとして「愛している」と聞いたとしましょう。あなたはそれを信じますか?

このような言い合いをしているとするなら、おそらく信じられないんです。というより信じたくないんです。あなたの主観フィルターを通すと愛していないように見えるんです。相手の気持ちは関係なく、自分が「信じない、あなたは私を愛していない」と決めているんです。

アドラー心理学は主体性の心理学ですから、目の前の現象をどう受け取るか、捉えるか、事実と思うかは自分で決められると考えます。

つまり自分にとってどんなにネガティブなことでも、自分がそのような事実として受け取ると決めているだけなんです。相手はそんなつもりがなくても自分でそうしている。

だけれども「あなたが愛していないからよ!」と相手を責めるわけですね。相手を責めることはできないんです。自分がその状況を作ってきましたから。そしてこういったケースでは例えば「今に始まったことじゃない、昔からあれもこれもそれも…」と過去の罪状を持ち出してくる場合もありますが、それすら自らの選択の結果なんです。持ち出してきた過去の罪状は相手の罪状ではなく、実は自分の罪状なんです。

そして「あなたが愛していないからよ」という言い方はあまり正しくないんです。
正しくは「あなたが私を愛していないように思える」という方が適切です。
相手は愛しているかもしれませんから。

どんなことであろうと、目の前の客観的な事実は、自分にとっての客観的な事実、つまり主観的な意見であり思い込みであり、しかもそれらは自分が自分に都合のいいように決めているだけなんです。

|あなたの思考パターンで他人が動くとは限らない

前項の「あなたが私を愛していないように思える」につながってくるのですが、つまり自分の中に「愛する、愛してくれている」と思える行動パターンが存在しているわけです。それとそぐわない行動を相手がするもんですから、愛してくれていると思えないんです。

でもこれは相手の立場で考えますと、相手にも当然「こうすることが愛することだ」という行動パターンがあるわけです。これが食い違っているだけでどちらも愛しているんです。

だからお互い責めちゃいけないんです。「あなたは私を愛していない!」って。
相手が愛しているかどうかは相手の課題であって相手を決めつけてはいけませんし、自分の課題は相手が自分の事を愛してくれていないと思ってしまう思考の選択を取ってしまう事なんです。

お互い「愛する」という気持ちを表現する方法は違いますから、まずは「違う」ということを重々理解した上で、相手が自分の気にくわない行動をしたとしても責めない。
相手をすべて否定するんでなくて、冷静に「あなたが私を愛していないように思えるんだよね」とまず伝えることです。

そして相手が何してくれない、これしてくれないを責めるんでなくて、「私はこうしてくれると愛されている気がして嬉しいんだ」と伝えてみる。

相手はきっとあなたが愛されていると思える行動を知らないだけなんです。丁寧に冷静に教えてあげればいいんです。何でこれだけ長くいるのに知らないわけ!?なんてなしです。自分だって相手の多くを知らないかもしれない。相手の事を責めるんでなくて、どうしたこの親密な中をより良く続け、お互い幸せに、そして協力的に生きていけるかを考えていこうじゃありませんか。

|まとめ

いかがでしたでしょうか。

どんなに近しい間柄でも、違う一人の人間で、その頭の中にはそれぞれ独自の世界やルールが広がっているんです。付き添う年月が長ければそれだけ似てくるかもしれないけど、100%ではありません。違う価値観を寛容に理解する態度で接し、相手を自分の主観的な意見で性格や行動を決めつけたり責めたりせず、「自分にとっての好ましい行動はこうである」と冷静に伝えることをお互いに出来たら素敵だと思うんです。

様々な場における、自分の大切な人との接し方を一度見直してみませんか?

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