第3回あさおアドラー心理学勉強会

2月6日は小田急線新百合ヶ丘駅最寄りの「麻生市民交流館やまゆり」で行われたASAO ADLER STUDY あさおアドラー心理学勉強会の2月1回目でした。今回も内容を少し振り返ってみようと思います

前回、宿題を出していたんです!「1日3回、誰かを勇気づけてみてください」って。
普段から意識していないと中々難しかったと聞きましたが、少しずつでいいです。まずは意識することが大事かもしれません。あとはできるようになった時に出来るようになるでしょうからね。笑

とはいえ、前回の勇気づけのためのワークはとても面白かったとのことでしたので、また今度もやっていこうと思います。

さて、第2回の時にアドラー心理学の5つの基本前提の全体を簡単に説明いたしまして、今回から各回一つずつ基本前提を掘り下げていっています。そんな今回は基本前提の1つ目、『個人の主体性』を前半に説明し、その後はエピソード分析などを予定していましたが、予定を変更してそのまま質疑応答を行いました。

理論だけだと難しく、やはり実生活の中で「あ、こういうことか」と結びついてくると理解が深まるように私も思います。それに今回から便宜上、基本前提を1つずつ解説していっていますが、1つずつに中々ならないんですね。

アドラー心理学の基本前提には『全体論』があります。
まさにこれで、基本前提も5つで1つ、「全体」でして、1個ずつ取り出すのは少し無理やりな気もしました。なんせ話しているうちにいつの間にか他の前提にも触れることになるんですね。それに『個人の主体性』を認めるということは他の各前提も認めることにつながるので致し方ないのかもしれません。

|個人の主体性

よく「感情が私を突き動かす」とか、「怒りが私を駆り立てた」という表現を一般的にしますが、アドラー心理学はその言い方・考え方をしない立場を取ります。

ではどのような言い方になるかというと、「私が感情を使用して動く」とか、「私が怒りを使用して何かの目的を達成する」といった表現をしたいんです。感情や精神が人を動かしているように考えてしまいがちですが、「個人」というそれ以上分割できない「全体」が、生きるために感情や精神を使用していると考えます。いつも「私」が主語の位置に来るんですね。

例えば、トラは牙を使う、鳥は羽を使う、魚はヒレを使うって表現しますね。これで言うとヒトは精神を使う、言葉を使う、手を使う、足を使う、感情を使うってなります。

これ逆だと変なんです。

牙がトラを使う、羽が鳥を使う、ヒレが魚を使うってなりますでしょ?
言葉がヒトを使うわけじゃない、足がヒトを使うわけじゃない、となると精神がヒトを使うわけでもないんです。人が精神や感情を使うんです。

では何がヒト、あるいは個人を動かしているかというと、別に主宰しているところはないんです。一つ一つの各部分がお互いに動きあって、全体のシステムとなって動いています。その生体のシステムである「個人」あるいは「私」が、生存のために備わっている様々なものを使用する、そのように考えます。

|知ったら最後、人のせいにはできない

個人の主体性を知ってしまうと、人生はとっても自由になるんですが、一方でもう自分以外の何かのせいにすることができなくなるんですね。

例えば、怒りのあまり人を殴ったってのは、怒りのせいにもできなければ、相手の発言のせいにもできないんです。

怒りという感情を選び使ったのは自分ですし、もっともそれは殴るために怒りを使用したかもしれないし、相手を負かしたいがために使ったかもしれない。相手の発言を自分にとって負の方向へ解釈したのも自分ですし、それすら自分は相手より上であることを証明するためにそうしたかもしれません。

どんなに瞬間的な出来事でも、人は選択して実行しています。

その瞬間、やろうと思えば解釈の仕方だって変えられるし、怒りを使わず相手に気持ちを伝える方法も選択できるわけですから、全てがとは言いませんが、大体のケースにおいて自分次第であって、選択することは可能なんです。

|感情が起きる前の「解釈」を忘れない

とはいえ感情は不随意なもので、感情自体を変えることはできません。
ではどうすればいいかというと、出来事が起こって、感情が起きるまでの間の「解釈」を変えなくてはなりません。

感情はこの「解釈」に付随するもので、「解釈」次第です。

ある気分よろしくない出来事が起きると、人はそのまま感情に直結するものだと思ってしまいがちですが、実はそんなことないんですね。必ずその間に自分自身の価値観や信念のようなフィルターを通して感情を主体的に決定します。

だから「あんなこと起きたら怒って当然でしょ」ってのはある意味当然とは言い切れないんです。他の選択肢だって無数にあったかもしれない。本人はその方法しか知らないか、もしくはそうしたかったってことになります。

|課題の分離の説明もしました

後半の質疑応答では、あさおアドラー心理学勉強会のメンバーのお一人が事例を出してくださり、それを例にしてみなさんで考えてみました。

実際の事例はこちらでは出しませんが、例えば仕事仲間で一生懸命仕事をしてくれない人がいたとしまして、こちらとしてはもっと頑張ってほしいとします。

一生懸命仕事はしていないのだけど、仕事全体は回っていて、その本人も困った様子はない。

そんな時これを課題の分離してみますと、一生懸命仕事するかはその人の課題、つまり「相手の課題」ですね。その人に対してもっと頑張ってほしいって思うのはこちら側の好みであり「自分の課題」です。ここで例えばその相手から何か相談を受けたり困っている、もしくはこちらや全体に影響が出ている様子なら、「共同の課題」として改善のお手伝いをする選択肢も考えられますが、そうでないのなら「相手の課題」を悩む必要はないんですね。

モヤモヤと感じてしまう「自分の課題」、自分の解釈を変えて、その時間を幸せに過ごしたいんです。

悩むべきものはいつもシンプルだったりします。

|相手を変えようと思わない

人は悩むと問題の原因を相手に求め、相手を変えようとしたりしますが、それは上手くいかないんですね。そもそも問題は相手にはないかもしれない。それよりも自分の価値観やこうあるべきという理想を相手に要求している自分にあるかもしれないと考えたいんです。

相手はそれが良いと思ってやっているかもしれませんし、逆に相手がこちらに対して同じようなことを思っているかもしれません。

相手が自分を変えてこようとしたら嫌ですよね?
どちらが正しくてどちらが間違っているかの権力争いになるんです。これが規模が大きくなると戦争になるわけです。

どちらが正しいとか間違っているとか考えないんです。どちらもOK。
破壊的な行動をとってないなら、お互いに好きなようにしていたらいいんです。それで例えば仕事や生活をするうえで物理的に支障が出てくるようであれば、お互いの正当性を主張しあうんではなくて、お互いの行為・行動を調整するために話し合えばそれでOKなんです。

|まとめ

第3回目が終わりました。
メンバーの方が「とてもアットホームで雰囲気で」とおっしゃって下さり、私もとても嬉しいです。私自身、1週間の中でこの日メンバーの方々にお会いできることをとても楽しみにしているんです。笑
アドラー心理学を勉強する目的はもちろんあるのですが、何より息抜きや人との交流の場でもあってほしいと思っています。

現在メンバーが5名かな?
まだまだ新しいお仲間を募集しております。
アドラー心理学に興味がある方、もっと深く学びたい方、仲間を作りたい方など、どなたでも参加することができますので、ご興味ございましたらお気軽にご連絡、ご参加ください。

次回は来週、2月13日木曜の18時半から20時で小田急新百合ヶ丘駅より徒歩5分、麻生市民交流館やまゆりの2階、会議室Bにて行います。

みなさまのお越しをお待ちしております。

ASAO ADLER STUDY あさおアドラー心理学勉強会

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