「言い訳するな」は絶対じゃない。

突然ですがみなさん、ちゃんと言い訳していますかね?

のっけから「ん?」となりそうな始まりですが、今日お話ししようと思うテーマは「言い訳をするな」というこの暗黙の掟というか、社会に流れる雰囲気についてです。

「言い訳」というと何だかネガティブなイメージ付きまといます。
例えば何か自分が失敗した時に何とか自分を正当化するために理由を述べる、こういったイメージが特に強いんじゃないかなと思うんです。

確かに何かを自分が失敗したのなら、まずは謝り、今自分に何ができるか、回復させるにはどうしたらいいかを考える方が便利かもしれない。

でも「言い訳」は言い換えますと、「理由の説明」でもありますね。

確かにネガティブなイメージでの「言い訳」の使用はその後の展開にあまり貢献はしてくれなさそうですが、そうではなくて例えば相手が何かを誤解しているのであれば、それはしっかりと相手から「言い訳」と言われようが「理由の説明」をした方が今後のためにもなる場合もあります。(そのタイミングはさておき)

ここの「誤解を解く」という部分までもが「言い訳」のネガティブなイメージに括りにされて、弁明しようとも「言い訳するな」と言われる、もしくはその雰囲気でもって結局誤解されたまま、お互い理解できずに過ごすはめになるのでは、いつまで経ってもお互い分かり合えないなと思うんです。

誤解を解く努力はあの手この手でしたいんです。
自分の気持ちを一生懸命伝える努力はしたい。

そうしないと自分という存在の判断を相手の主観に任せることになるから。

そしたら自分の人生、人任せです。

言葉にして説明するのは、お互いが違う価値観だからこその分かり合うためのコミュニケーションですね。

例えば世界中からアドラー心理学を実践する人たちが集まる海外のアドラー心理学の集まりでは、「なんでそんなに日本人の夫婦は仲が悪いんだ」とよく言われると聞きました。

必ずしもそんなことないと思うんですが、まぁ言われてみれば私もカウンセリングなどを通して日本のご夫婦はお互いに言葉でコミュニケーションを取らない方が多いなという気もします。

といってもカウンセリングに来られる方は何かしら問題を感じて来られる方が多いですからそのように私の目に映るのも当然なのでしょうが。

でも「察して」や「空気を読んで」という言葉が日本に浸透しているように、言葉に出さずして理解する、行動をとるというのは一種の美徳になっていることは間違いないと言えるかもしれません。

ある種、日本のコモンセンス的なところもあるかもしれませんね。

もちろんこれらの文化を否定する気はないんです。
それでうまくいっているなら、それで生活してもらえればいいと思う。

ただいつも誤解されて、でも理由を言うのは言い訳がましいから我慢しよう、というので苦しんでいるのなら、ちゃんと「言い訳」してほしいなと思うんです。

人って考え方に人それぞれ色んな癖があるでしょ。
目の前の出来事を曲解する人、早とちりする人、ネガティブにとらえる人など、色んな人がいます。

そんな一人ひとり捉え方が違う世界で、説明なしはキツイんです。それは負のループの入り口でしかない。

誤解される→弁解しようとする→言い訳は聞きたくない→黙る、泣き寝入り→誤解されたまま印象付けられる→また誤解される→…

どんどん誤解されるし、どんどん黙ってしまうし、どんどん我慢しますし、どんどん分かり合えなくなります。

とある夫婦がいましてね、奥さんが洗濯物干している時に旦那さんが「買い物してくるよ」と声かけたんです。そしたら奥さんの方は「今洗濯物干してるから行けないの!見ればわかるでしょ!」と怒りながら言ったそうです。奥さんにしてみたらこの旦那さんの「買い物してくるよ」は「買い物いかないの?」に聞こえて、まるで自分が急かされているように感じたみたいなんです。でも旦那さんはもちろんそんな気持ちはなかったのでこう言いました。「いや、電池を切らして買いに行こうと思ったから、ついでに買い物しようかなと思って声をかけただけだよ」と。

これってちゃんと言わないと伝わらないですね。
この奥さんは奥さんで、人の言ったことを自分のライフスタイルに合わせて曲解してしまう癖もあるようですから、なおさらちゃんと理由を説明しないと上手く行きません。

この奥さんの「見ればわかるでしょ!」に対してもし仮に感情的に「何言ってんだ!人が買い物行ってくるって言ってるのに!」と返せばお互いに理解し合えずにイバラの道ですし、感情使わず冷静に理由を説明しようとした際にもし奥さんが「言い訳じゃない!」と言えばそこでお互いの理解は止まってしまうかもしれません。

こういった人の癖というのは無意識なものですから、ちゃんと会話で話し合っていくことで意識化されてきます。意識化されてくれば、例えば「この人は言ったことを曲解して受け取るからしっかり説明しよう」とか「私は人の言ったこと曲解するから、慎重に聞いてみて、不安なら確かめてみよう」とか選択肢が生れます。

こういった特性を分かっているのと分かっていないのでは生活の楽さというのかな、かなり差が出てきます。そしてこのお互いの特性を理解するのにはやはり、言葉によるコミュニケーションが必要なんですね。

だから必ずしも「言い訳するな」を鵜呑みにしなくてもいいと思うんです。

時には必要だし、一見言い訳じみたシーンでも言わないといけない時はあると思う。言わないといけないというか、言った方が後々のためになるかもしれない場面ですね。

もちろんそうでないケースもあるでしょうし一概には言えませんが、とにかく気持ちを伝えることは放棄したくないんです。

「言い訳するな」の過剰な信仰は、「悪いあの人、かわいそうな私」をたくさん作っちゃいそうだなと個人的にふと思った今日この頃でした。

「言い訳するな」に、惑わされない。
「理由の説明」は、分かり合うためのコミュニケーションです。

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